日米青年政治指導者交流プログラムを通して

真の民主主義国家になるために

官僚主導から政治主導へ

 

−アメリカ政治任命システムの導入と与野党を越えた立法府の復権、

前近代的な「試験>選挙」意識が根強く残る日本の意識改革に向けて−

 

2001年

民主党参議院国会対策委員会事務局

竹内 英明

(2003年〜姫路市議会議員、2007年〜兵庫県議会議員)

数々の疑惑や失言で政治不信が高まった森内閣でも、平成12年の衆議院総選挙では政権交代がなされなかった。6割もの内閣不支持率がある中で政権が存続したのは、有権者の4割が棄権し政権選択の意思表示を行わなかったからかもしれない。投票を行う意義を理解せず、政治不信だけを口にする多くの日本人の姿は、自ら勝ち取った民主主義でなく、アメリカから与えられた戦後民主主義の限界を示しているかもしれない。民主党が政権を担当することとは別として、政権交代がもたらす数々のメリットを享受できない日本の現状を嘆いていた。

 

政権交代がない理由は何か。その原因は日本の議会制度にあるのではないか。そんな思いが漠然とあった。それは「姿が見えない、批判ばかりしている」という国民の声に代表される、野党に対する不信の原因が議会制度にあると考えたからである。野党議員は批判することでしか議員としての役割を果たすことができず、報道もされないという現実がある。私が民主党という野党に身を置き、政権与党の追及(1)に業務の大半を費やすことに疑問を感じつつも、追及せざるを得ないのはそのためである。

一方、野党自身が望んで抵抗勢力になっているという批判もある。しかし、その批判は現在ではあたらない。政権を担当するための前提である過半数の候補者擁立すらしなかった55年体制下の野党ではない。政権を担当した経験のある多数の議員をはじめとして、現在の日本では野党でいることに意味がないと思っているのである。政権を担当したいという意思は厳然として存在するし、実際に多数の議員立法を提出している。ただ法案の内容がいくら素晴しくても野党提出の議員立法が成立した例はなく、ほとんどの議員立法は採決に付されることはおろか、与党のつるし(2)という手段によって審議入りさえ行われず廃案になるのである。こういった事実はほとんど報道されないため、野党は批判ばかりしていると映るのである。

このように野党の議員立法は審議を拒否され、国会審議の大部分が内閣提出法案(3)に費やされている。これが立法府と言えるのだろうか。あまり知られていないが、内閣の議案提出権は憲法に明記されているのに対して、国会の議員立法権(議案発議権)は明記されていない。新憲法制定時の議論を調査していないが、国会は内閣の提出した議案を審査する機関として位置付けられているのである。

このように、これまでの議会制度はイデオロギー対立時代のままの流れで、野党の関与を極めて限定したものとなっている。つまり野党が政権交代の受け皿ではなく、単に批判勢力であればよいという55年体制時のシステムである。真の民主主義国家となるためには、古い議会制度を改革し、与野党を超えて、野党の立法への関与の度合いを大幅に拡大しなければならない。またそのためには、帝国議会以来、大部分の立法を担ってきた官僚(4)を排除し、議会が主体的に立法を行い、国政に関与する機能を持つ必要がある。

そんな思いの中で、日米青年政治指導者交流プログラムに参加した。

 

 

目次

T.国会の問題点

1.手段としての疑惑追及(1)

2.つるし−野党提出法案を未審議のまま廃案にする仕組み(2)

3.内閣提出法案の審議優先(3)

4.官僚の国会審議への関与

 

U.官僚国家−その起源と凋落の歴史

1.官僚の権力起源−幕藩封建制から官僚による中央集権制へ

2.科挙−明治政府 大久保利通が採用した中国の官僚任用制度

3.日本の官僚腐敗

 

V.行政改革−省庁体制の再編

1.行政改革までの動き

2.行政のスリム化・内閣府の機能強化

(1)行政改革会議と中央省庁等改革基本法−行革理念と省庁再編

(2)内閣府の機能強化

 

W.国会改革−政治主導への仕組み作り

1.国会審議活性化法の制定−官僚の立法府からの排除・政治家中心の国会審議へ

(1)国会審議活性化法の主目的

(2)国会審議活性化法の主な内容とその施行時期

(3)副大臣・大臣政務官−行政府へ送り込まれた政治家

@副大臣・大臣政務官の定数と職務規定

A官僚との関係−副大臣会議と事務次官会議

B国会との関係

 

 

X.政治任命

1.日米の閣僚・高級官僚・大使の任命比較

(1)アメリカ     (2)日本

  2.日本の公務員人事権

3.政治任命の導入提言−今後の公務員任命制度

(1)幹部行政官   (2)大使

 

Y.与野党参加型国会

1.議員立法優先    2.国会同意人事

 

まとめ

 

T.国会の問題点−序文解説

1.手段としての疑惑追及

野党が政権与党の追及に集中するのは、疑惑を解明せよとの世論を受けてのものであり、国会の機能として認められている国政調査権の行使である。ただ疑惑追及は、その解明につながる一方、別の功績をもたらす。疑惑解明を拒否し責任を回避する政府与党に対して、世論を背景に野党の交渉能力が大きくなることである。つまり法案審議を拒否するなどの戦術を用いて、与党と包括的交渉の場を勝ち取るという側面である。疑惑追及の拳を振り上げ、法案審議の主導権を握るという戦術は野党にとって重要な武器である。

通常の審議では法案に問題があったとしても、野党の主張を盛り込む修正を勝ち取ることは困難である。つまり立法の過程において野党の主張を盛り込むことが非常に難しいため、疑惑追及を手段として利用する。これは野党の意見を取り入れる仕組みがない議会制度の問題点である。

 

(参考)内閣提出法案の国会修正件数[過去3年]第142〜150国会

国会回次

会期(日)

内閣提出数

成立数※1

修正数※2

修正率(%)

142

158

117

98

2%

143

79

10

17

47%

144

18

0%

145

207

124

120

16

13%

146

48

74

80

5%

147

135

97

97

12

12%

148

149

13

150

72

21

20

20%

1 成立数が提出数を上回る国会があるのは前国会からの継続議案を含むため

2 修正数−成立法案のうち衆参いずれかの院で修正された法案数

 

ここで特筆すべきは第143国会の修正率である。直前に行われた選挙で、参議院の議席が与野党逆転する結果となり、野党の要求を組み入れ、多数の法案が修正されたのである。この国会は金融国会と呼ばれ、与野党の金融を専門とする若手議員が議論し、法案を修正するなど、議員主導の国会であった。当時、大蔵省の検査では債務超過でないとされていた日本長期信用銀行に公的資金を入れさせなかったのは野党の存在があったからである(後に3兆円の債務超過が判明)。

ところが国会閉会後、自民党は野党であった自由党と連立で合意し政権をつくったため、参議院の議席数は与党多数となり、以前の国会の姿に戻った。この際、当時の自民党野中広務幹事長が、与野党の若手議員主導で法案修正を余儀なくされた金融国会を振り返り「(自らの著書で悪魔とまで言及していた)小沢一郎にひれ伏してでも(自由党と連立し、参議院で過半数を確保しなければならない)」と発言したことは有名だが、これは与党の数合わせ的な政権運営を表す言葉として、また野党が立法に関わることを否定的にとらえる与党議員の発言としても興味深い。

 

2.つるし−野党提出法案を未審議のまま廃案にする仕組み

 正式名称を趣旨説明要求といい、成文法ではなく衆参両院の先例を根拠としている制度である。国会では、重要な法案について、実質的な審議を行う委員会審議の前に、本会議で全議員にその法案趣旨を説明し、総括的な質疑を行うこととされている。ところが与党は、野党提出法案すべてに趣旨説明要求を行いながら、本会議の趣旨説明を行う日程を設定しようとすると、議事整理権を盾に応じないという二律背反の方法を用い、野党提出法案の審議入りを拒否するのである。

 つまり与党は内閣と一体で内閣提出法案を提出することから、その成立を最優先とし、野党議員が提出した議員立法の審議を後回しにすることで審議をしないまま廃案にする。国会を内閣提出法案の審議機関とし、実質的に議員立法の道を閉ざしているのである。議員提出法案と内閣提出法案の重要性を比較することに意味はないが、国会の立法府としての役割や与野党の議席比率を考慮すれば、野党提出法案の審議に一定の時間をとる必要があると考えられる。

一方、野党もつるしを用いるが、その効果は議案の審議を遅らせたり、審議順序を左右することができる程度で、採決で無効とすることができるなど、限定的である。

 

3.内閣提出法案の審議優先

内閣提出法案は、憲法第72条に基づき、内閣が国会に提出する法案のことで、一般的には各省の内部や審議会で発議され、所管省庁で立法作業が進められる。法案の骨子がまとまった段階で、与党である自民党の部会・政策調査会に提示されるが、そこで修正等が行われることもある。そうして与党の了承を得た後、各省庁の事務次官会議で法案の最終的な調整が行われ、閣議決定の後、国会に提出される。野党は法案形成の過程で建設的な立法作業に関与することができず、政府与党だけで取りまとめ国会に提出された法案に対して、質問という形でチェックするしかない。また実際の審議で法案に問題があっても、野党が法案の内容に踏み込んだ修正を勝ち取ることは極めて難しく、附帯決議と呼ばれる法的拘束力のない委員会決議を行う程度しかできない。そこには法案に問題があっても実際の運用や法律の解釈、また政令・省令で対応できると考える官僚の姿勢が見え隠れしている

 

4.官僚の国会審議への関与

官僚は内閣の法案提出権を利用して、法律制定後に自らの裁量で行政権を行使できるように、裁量範囲を十分確保した法案を国会に提出する。裁量部分をお手盛りの政令や省令で解釈し、都合のよい運用をするためである。法案の国会提出後も、局長級のキャリア官僚が政府委員と称して委員会に出席し、大臣に代わって議員の質問に答弁するなど、官僚が立法府を占拠している状況であった。国会で成立する法律のうち約85%が内閣提出法案であることからも、国会の役割が内閣の提出した議案を審査する機関に終始していたことがわかる。

 

(参考)成立した法律の内訳−第118国会[平成2年2月]〜第150国会[平成12年11月]

全法律数       = 8369(100  %)  ※別紙1より抜粋

内訳(A)内閣提出法案   = 7141(85.3%)

(B)衆議院議員立法 = 1055(12.6%)

(C)参議院議員立法 =   173(  2.1%)         

 

(別紙1)議案提出・成立件数一覧表[参議院議事部議案課 資料]

(別紙2)自動車排出ガス削減法改正で法律に反する他省との覚書発覚[新聞記事]

(別紙3)覚書[民主党・新緑風会国会対策委員会 資料]

 

 

 

U.官僚国家−その起源と凋落の歴史

健全野党勢力の確立には、まず選挙で選ばれた政治家が政治を行うという民主主義の実現が不可欠である。民意の集約たる選挙を経た政治家が国を運営するのが真の民主主義国家であって、公務員試験に通っただけの官僚が権力を濫用することがあってはならない。与党のみならず議会全体が主体的に政治にかかわるため、政治家と官僚の役割を見直し、政官の癒着構造を改め、官僚の権限を政治に取り戻さねばならない。主権者たる国民が選んだ代議員としての政治家の役割を再認識すれば、官僚の役割はそのアシスタントでしかないのは当然である。与野党の権限配分より先に、官僚の権限を政治に取り戻さなければならない。ただ、これが最も難しい問題であるかもしれない。

ここでは日本の官僚機構をその起源である中国の科挙制度と比較し、その栄光とその腐敗の必然性を明らかにする。

 

1.官僚の権力起源−幕藩封建制から官僚による中央集権制へ

江戸時代の幕藩体制は封建制であり、藩主による自治が認められていたが、幕府から明治政府へ大政奉還が行われると、明治政府はプロシア風の立憲君主制を導入し、欧米列強に追いつくべく国家統治システムとして中央集権体制を採用した。中央政府では身分に関係なく官僚を抜擢し、能力中心主義の官僚組織を作り上げ、また中央官僚を地方の県知事に任命し、地方も完全にその支配下においた。有史以来、日本では初の中央集権国家の完成であった。これまで鎖国政策をとり、軍事や工業で後進国であった日本が、これ以降目覚しく発展したのは、中央集権・官僚中心の富国強兵政策をとったからに他ならない。大正・昭和と軍部の独走で戦時体制となった後も、軍部と共に官僚が政治を担った。一方、旧憲法下での議会は、自由民権運動という野党勢力の要求によって創設された機関であり,天皇主権であったことから、その権限は限定されていた。

太平洋戦争の敗戦により、旧内務省等の官僚組織は解体されるなど、戦勝国にとって戦犯扱いだった官僚機構も、朝鮮戦争勃発により急速に右傾化するアメリカの都合で利用されるようになった。これは傾斜生産方式など国策としての中央集権国家への回帰でもあった。国を挙げて産業振興につとめ、国家復興という大事業をなしえたのは官僚主導だったからと言っても過言ではない。つまり官僚中心の統治機構は未成熟な国家にとっては、非常に有効であるということができる。

 

2.科挙−明治政府 大久保利通が採用した中国の官僚任用制度

(国家草創期・成熟期におけるその功罪)

中国では隋の時代から科挙と呼ばれる官吏登用試験が行われていた。6世紀までの中国は、地方豪族の力が大きく、中央権力の力が及ばないことがあった。そのため隋の文帝は地方政府における貴族の世襲的な優先権を廃止し、地方の高等官を中央から任命派遣するよう改めた。その官吏有資格者を作るために始めたのが、科挙であった。家柄等にかかわらず有能な人物を試験し登用する制度は、1905年の清時代に廃止されるまで、中央政府の権威を高め、地方を支配する手段として用いられた。戦乱後の草創期の王朝にとって、この科挙制度は優秀な官僚を輩出し、国家システムを安定させる役割を担う重要な制度であった。

一方で科挙は、中国が列強の侵略を受ける一因ともなった。清の末期になると、皇帝の権力は実質的に官僚機構に移っていた。世界は欧米列強の帝国主義の時代となっているにもかかわらず、暗記・儒教教育を主とした試験によって選ばれた官僚は、古い価値観にとらわれ国際情勢に疎い者が多く、政治的判断のできない人材ばかりであった。列強の進出という国難を前に、日本は藩閥政治家、中国は官僚が国をリードしていたということがその後の明暗を大きく分けた。

 

(参考)科挙の弊害−中国の歴代王朝における傾国原因

一般的に、科挙の弊害は縁故主義や倫理教育の重視と実用知識の軽視による規格化された人間の育成などが言われている。しかしその弊害はそれだけではない。科挙に合格し、若くして地方に派遣されると、中央から派遣された代官として煽てられる。中央の目の届かないことをいいことに、次第に感覚が麻痺し、地方駐在を軽んじ、放蕩の限りを尽くすようになる。地方の役人と共に農民から高い税を徴収し、金持ちから賄賂を受け取り法を曲げる。建国時に権勢を誇った王朝でも、末期には、このような役人に反発する形でおこる地方の反乱によって国力が疲弊し、他国の侵略を受けるなど、傾国の一因となったことは歴史的に証明されている。

また科挙は中国の伝統的支配体制と密接な関係がある儒教を試験科目としていた。儒教は皇帝の「徳」を尊重する政治的倫理観を埋め込む効果があった。この科挙が廃止されたことによって、伝統的支配体制が崩壊し、新たな秩序として共産主義が急速に進展したとの説もある。

 

 

3.日本の官僚腐敗

最近表面化したものだけでも、外務省官房機密費流用、警察庁不正監察、防衛庁不正入札、大蔵省検査官汚職、農水省構造改善局汚職、厚生省特養老人ホーム汚職など、数えあげればきりがない。これらの事件では官僚が組織的かつ主体的に疑惑に関与した事実が明白になっている。ところが一部が立件されただけで、他の疑惑は糊塗され、組織的にかかわっても、その体制は温存されるなど、根本的解決はなされていない。

外務省官房機密費の関係では、田中真紀子外務大臣が調査を指示しても、官僚組織がそれに反発し、大臣の意思を無視して関係者を在外公館に隠匿したり、勝手に人事権を行使したりと、その横暴はとどまるところを知らない。また大臣に情報を入れないという手段を用い、国会審議での大臣の業務遂行に支障をきたさせ、また敵対する勢力に一方的な情報を漏洩してマスコミを誘導し、大臣が耐えられなくなると、自らに有利な条件で手打ちをしようとするなど、組織防衛のためには手段を選ばないのである。

(天下り)

次官への出世レースに敗れた場合や退職後の就職先を確保するため、規制という許認可権を背景に、その規制先(所管先)に対し、天下りポストを要求し、一度天下ると既得権として確保し続ける。また所管先の不祥事を起こした企業に天下りポストを要求し、処分と取引するバーターや役所主導で業界団体を新たに作らせ、補助金を付ける替わりにポストを要求することは日常茶飯事である。

 

 

V.行政改革−省庁体制の再編

1.         行政改革までの動き

日本でも戦後50年が過ぎ、右肩上がりの経済成長が終り、中央集権から地方分権、閉鎖行政から情報公開、工業発展より環境重視、大きな政府から小さな政府、官主導から民主導という動きがおこるなど、社会構造が大きく変化し、国家が成熟してきた。また官僚を中心とする行政組織に様々なひずみが見られるようになった。

ところが官僚機構は、その変化に適応しようとしないばかりか、改革に抵抗し、その動きを妨害した。これは既得権保持という官僚組織の特性である。市民オンブズマンに代表される納税者意識の高まりもあって、汚職、天下り、ヤミ手当、裏金作り、カラ出張など、高度成長期にはあまり注目されなかった問題が次第に明らかになるなど、行政に対する国民の意識に変化が見られた。また高負担が予想される21世紀の少子高齢化社会に備えるためにも、民間参入や規制緩和、行政機関のリストラ等の効率化を進めて、無駄なコストの削減をはかれとの声も強くなっていった。これは民間が血を流しているのに、行政は税金を浪費するのみであるという批判でもあった。役所ぐるみ、お役所仕事、親方日の丸など、これらがいつの間にか悪いニュアンスで使われるように、責任をとらない公務員の姿勢が糾弾されるようになり、国会でも政治家のスキャンダル追及だけでなく、役所の不正をただすということに国政調査権を行使する機会も増加していた。これを背景に、行政改革と共に、民意の反映される政治主導へと政策転換を図れとの声が高まってきたのである。

2.         行政のスリム化・内閣府の機能強化

(1)行政改革会議と中央省庁等改革基本法−行革理念と省庁再編

国会改革に先立って創設された行政改革会議は、内閣・民間人・学者などで構成され、橋本総理(当時)の下、計42回もの会議を重ね、報告書を作成した。その内容は行政のスリム化・内閣府の機能強化を目的としたもので、中央省庁等改革基本法(※1)に具体化され、1998年6月成立した。ところがこの法案は、省庁間の統合・組織再編を含む内容であることから、各省庁は、個別法の制定時にOBや族議員等を使って自らに有利な再編案にすべく動くなど、組織防衛の姿勢を鮮明にした。まさに省あって国なしであった。最終的に橋本総理主導でまとまり、現在の1府12省庁の形になった。

 

(別紙4)中央省庁の新体制

 

※1−行政改革会議と中央省庁等改革基本法

中央省庁等改革基本法(抜粋)
(目的)
第一条 この法律は、橋本内閣平成九年十二月三日に行われた行政改革会議の最終報告の趣旨にのっとって行われる内閣機能の強化、国の行政機関の再編成並びに国の行政組織並びに事務及び事業の減量、効率化等の改革について、その基本的な理念及び方針その他の基本となる事項を定めるとともに、中央省庁等改革推進本部を設置すること等により、これを推進することを目的とする。
 
(中央省庁等改革に関する基本理念)
第二条 中央省庁等改革は、内外の社会経済情勢の変化を踏まえ、国が本来果たすべき役割を重点的に担い、かつ、有効に遂行するにふさわしく、国の行政組織並びに事務及び事業の運営を簡素かつ効率的なものとするとともに、その総合性、機動性及び透明性の向上を図り、これにより戦後の我が国の社会経済構造の転換を促し、もってより自由かつ公正な社会の形成に資することを基本として行われるものとする。

 

(2)内閣府の機能強化

行政改革会議では内閣府の機能強化の方針が示され、中央省庁改革基本法では、これまでなかった内閣総理大臣の発議権を規定するなど、内閣総理大臣の権限を強化する規定が設けられた。ところが実際に省庁再編が導入された森内閣では、行政改革の重要性の認識がなく、官僚主導で事務次官会議の存続が決まるなど、その理念が骨抜きにされてしまった。

 

(別紙5)内閣府の機能強化の方針[総理官邸HP]

(別紙6)森内閣の行政改革に対する認識[新聞記事]

 

 

 

W.国会改革−政治主導への仕組み作り

1.国会審議活性化法の制定−官僚の立法府からの排除・政治家中心の国会審議へ

戦後、新憲法によって国権の最高機関と定義された国会ではあったが、閣僚の代わりに官僚が政府委員として答弁するなど、立法府においても官僚が重要な役割を占める状況が続いていた。1993年に成立した細川政権では、閣僚の代わりに答弁する政府委員制度の廃止が検討されたが、政府部内の異論が多く実現しなかった。その後も、新進党・旧民主党などが同内容の法案を提出するなど、議員同士の議論で国会審議を行う制度の導入を目指す動きはあったが、自民党の反対によって実現しなかった。ところが1998年11月、自民・自由両党の自自連立政権樹立を決める小渕・小沢党首会談で、「国会の政府委員制度を廃止し、国会審議を議員同士の討論形式に改める。与党の議員が副大臣等として政府に入る」等の合意がなされた。以降、与野党間で協議が開始され、イギリスのクエスチョン・タイムを例に、総理大臣と野党党首が討論する衆参合同の国家基本政策委員会を設置するなどの諸改革も取り入れ、1999年7月、「国会審議活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律」として可決された(共産・社民は反対)。翌2000年の通常国会で党首討論が先行して導入され、副大臣制度は2001年1月の中央省庁再編にあわせて導入された。

ここで帝国議会以来続いていた閣僚に代わって官僚が答弁する政府委員制度が廃止され、国会審議への官僚の関与を限定し、議員同士の議論を中心に審議を活性化する仕組みができたのである。(但し、質疑者の要求により、技術的・専門的分野については官僚の答弁は認められている)。

 

(別紙7)自民・自由両党の自自連立政権樹立を決めた小渕・小沢党首会談合意文書別紙8  別紙9

 

(1)国会審議活性化法の主目的

@官僚主導政治からの脱却

 政府委員制度を廃止し、国会審議を国民に選ばれた議員同士で行うことによって活性化させ、議員あるいは立法府が主導する政治システムへと転換する。また、副大臣、大臣政務官を配置することによって、各省庁における政策決定システムを再整備する。

 

A行政現場への指導・監視

 1名の大臣制度と権限の無い政務次官、あるいは事前の事務次官会議で調整される閣議制などでは行政現場への指導・監視が徹底できず、とくに官僚の不祥事の多発に見られるように倫理面でのチェックができない状況にある。副大臣、大臣政務官を配置することにより、その機能を強化する。

 

(2)国会審議活性化法の主な内容とその施行時期

@政府委員制度の廃止(1999年10月−第146回国会より)

A国家基本政策委員会の設置(2000年1月−第147回国会より)

B副大臣及び大臣政務官の設置(2001年1月−中央省庁再編より)

 

(3)副大臣・大臣政務官−行政府へ送り込まれた政治家

@副大臣・大臣政務官の定数と職務規定

 副大臣・大臣政務官は自民党と自由党の連立政権合意によって内閣に新設された役職である。副大臣は、内閣が任免し天皇が認証する認証官であり、副大臣は大臣不在の際に職務を代行できるなど、以前の政務次官に比べ大幅に権限が増加した。また大臣政務官は大臣の補佐官的役割が期待される役職であるが、その職務については大臣が個別に定めることとされるなど具体的な職務に関しては規定がなく、閣議決定された大臣規範では国会との連絡調整にあたるとされている。

 

 定数

副大臣

大臣政務官

内閣府

3人

3人

防衛庁

1人

2人

総務省

2人

3人

法務省

1人

1人

外務省

2人

3人

財務省

2人

2人

文部科学省

2人

2人

厚生労働省

2人

2人

農林水産省

2人

2人

経済産業省

2人

2人

国土交通省

2人

3人

環境省

1人

1人

 

(参考)国家行政組織法(抜粋)

(副大臣)
第十六条 各省に副大臣を置く。
2 副大臣の定数は、それぞれ別表第三の副大臣の定数の欄に定めるところによる。
3 副大臣は、その省の長である大臣の命を受け、政策及び企画をつかさどり、政務を処理し、並びにあらかじめその省の長である大臣の命を受けて大臣不在の場合その職務を代行する。
4 副大臣が二人以上置かれた省においては、各副大臣の行う前項の職務の範囲及び職務代行の順序については、その省の長である大臣の定めるところによる。
5 副大臣の任免は、その省の長である大臣の申出により内閣が行い、天皇がこれを認証する。
6 副大臣は、内閣総辞職の場合においては、内閣総理大臣その他の国務大臣がすべてその地位を失つたときに、これと同時にその地位を失う。
 
(政務官) 
第十七条 各省に政務官を置く。
2 政務官の定数は、それぞれ別表第三の政務官の定数の欄に定めるところによる。
3 政務官は、その省の長である大臣を助け、特定の政策及び企画に参画し、政務を処理する。
4 各政務官の行う前項の職務の範囲については、その省の長である大臣の定めるところによる。
5 政務官の任免は、その省の長である大臣の申出により、内閣がこれを行う。
6 前条第六項の規定は、政務官について、これを準用する。

 

(参考)大臣、副大臣、政務官規範=平成13年1月6日閣議決定(抜粋)

府省の閣僚、副大臣及び大臣政務官の職務など

1.       閣僚は副大臣の就任時等において、その担当する政策及び企画並びに政務に関する職務の範囲を指示するものとする。

2.       副大臣等は府省の大臣が支持した分担に基づき、その政策及び企画並びに政務に関する職務を責任を持って遂行するものとする。

3.       大臣決済案件の関係副大臣等の事前決裁を常例化する。

4.       府省の大臣は、必要に応じ、副大臣等を内外の重要な会議において積極的に活用するものとする。

5.       副大臣は、国会において答弁を行うとともに、必要に応じ国会等との連絡調整を行うものとする。国会提出法案については、副大臣が担当する法案を府省の大臣があらかじめ定め、副大臣は、その担当する法案に関し、責任を持って職務を遂行するものとする。大臣政務官は、国会等との連絡調整を行うとともに、必要に応じ国会において答弁を行うものとする。

 

 

A官僚との関係−副大臣と事務次官

新制度導入当初は、秘書官や専用車、個室の有無など、職務というよりその扱いで官僚側はとまどったようである。最近では他省庁との政治問題折衝を副大臣に委任したり、アメリカ原潜によるえひめ丸衝突事故の際に大臣が政務官を派遣したりするなど、次第にその職務が明らかになってきた。一方、外務省で副大臣が機密費疑惑の責任者となったものの、実際には官僚の抵抗で疑惑を明らかにすることができないなど、官僚の既得権保持の姿勢は変わっていない。

 

また官僚のトップである事務次官との関係は微妙である。内閣が法案を提出する場合、閣議決定が必要となるが、閣議は時間も短く議題を全会一致で決定する形式的な場であることから、週2回の閣議の前日に行われる事務次官会議で案件が決まる。つまり閣議には、事務次官会議で全省庁が一致した案件のみが取り上げられる慣例となっており、事実上、官僚が反対する案件は閣議にはかからない仕組みである。事務次官会議には法的根拠がないが、閣議案件を決定するのである。

これに対して各省の副大臣が集まる副大臣会議(主催・内閣官房副長官)は国会審議活性化法に設置規定があるものの、何の権限もなく、単なる意見表明などガス抜きの場と化している。副大臣会議では事務次官会議を廃止する声も出たが、官僚の抵抗で断念するなど政治主導の方針が実践されていない。

官僚を指導・監督するために官僚に対して発言力のある政治家の副大臣就任がのぞまれたが、大臣経験者の副大臣就任は1名(衛藤征士郎元防衛庁長官)にとどまり、当選回数・派閥均衡の任命となった。任命される議員の格・政治力がこの副大臣制度導入の成否を左右する重要な要素であったが、森総理大臣はその重要性を理解せず、単なるポストの新設ととらえ、事務次官会議を存続させるなど、改革の趣旨が活かされなかったのである。

 

B国会との関係

国会の審議では、野党の反対で副大臣単独での答弁は認められず、大臣の職務代行者としても認識されていない。また大臣政務官は法案の野党への事前説明や大臣と国会の連絡役程度の業務にとどまり、答弁する機会もごく僅かである。またポストの新設により、役職に就任する議員が増加したため、自民党が参議院委員会での政務官と委員会理事の兼任を求めるなど、立法府側の人材不足も指摘されている。

ただ副大臣・大臣政務官の新設によって、国会における官僚の関与が減少したことは事実であり、政治主導への第一歩と言える。ところが現在の与党の認識は、大臣と副大臣を並行して行われている会議に別々に出席させ法案審議を促進させる程度のものであり、政治主導の実現の意識が感じられない。

 

(別紙10)副大臣・大臣政務官の職務と官僚機構[新聞記事] ( 別紙11

 

 

 

X.政治任命

官僚の権限は大臣の権限委任を根拠とするものであるが、大臣の指示通りに官僚が業務を行っていないことは最近の外務省の例を見ても明らかである。政治主導を実践し、巨大な省庁を大臣が指示・監督できるように、まず人事権を取り戻さなければならない。ただ政治家による人事権の行使は恣意的な人事となる弊害があるので、アメリカの例を見ながら新たなシステムを模索することにする。

 

1.         日米の閣僚・高級官僚・大使の任命比較

公務員の任命については「公務員の選定・罷免は国民固有の権利である」(憲法15条)と規定されている。今回訪問したアメリカとの比較を行うことによって、国民の権利が適正に行使されず官僚のお手盛り人事になっている現状を明らかにする。

 

(1)アメリカ

1.       特徴−政治任命(Political Appointee)

  連邦政府の閣僚・高級官僚・大使の人事権は大統領にあり、大統領選出直後から数ヶ月かけて閣僚人事に着手し、順に高級官僚、大使などを指名する。アメリカには政党、シンクタンク研究員や議員政策スタッフ、地方議員などが一種の政治マーケットを形成しており、ほぼその中から指名する。政権交代がおきると、新政権支持者の猟官活動と逆に敗れた政権側の就職活動がおこるなど、選挙の結果が行政官にも反映される。

 

A閣僚−大統領の指名・上院の承認

大統領が指名する。指名された閣僚は、上院の委員会による公聴会をへて、上院本会議で承認される。承認まで数ヶ月かかることもある。また政権安定を図るため、野党から閣僚を任命することも行われる。ブッシュ政権では民主党のミネタ元下院議員(日系人)を運輸長官に指名した。

 

B高級官僚−大統領の任命(一部上院の承認も)

大統領の交代・前政権党の下野に伴い、新大統領に指名された各省の長官以下約3000名が行政府に送り込まれる。そのうち長官(閣僚)・次官・次官補など特に重要な人事は上院の承認が必要となる。すべての承認が終わるまで数ヶ月かかる。

 

C大使−大統領が指名し、上院が承認

指名された大使は、上院の委員会による公聴会をへて承認され相手国に派遣される。1996年度のアメリカの大使を出身別に見ると、職業外交官出身者が99名、民間、財界等出身者が50名(政治家含む)、その他4名(外務省国会答弁)となっている。特に大国には、政治家を任命することが多く、歴代駐日大使にもマンスフィールド元民主党上院院内総務、モンデール元副大統領、フォーリー元下院議長などの大物政治家がリタイヤ後、任命されている。これは、大国の大使の役割を閣僚並に重視する考えの現われで、対外的な信用・政治的判断力・格という観点で選ばれ、政治任命されている。つまり大使は政権交代によって交代する。

 

D政治任命の功罪

アメリカ大統領選挙の結果は民意の反映であり、行政官も民意に基づき任命されたといえる。公務員は国民に雇われているという理念が実践され、行政官自身も、国民の選択で選ばれたという意識があり、4年後の選挙に向け有権者の方を向き政治を行う。また大統領と同じ考えを持った人材が任命されることで、大統領の政策がスムーズに実行される。

一方で、政治任命は、中立的な行政権の行使が求められる場合には適さず、恣意的な運用となる場合がある。また政権交代の際は、民主・共和両党間の入れ換えになるので、重要な情報を隠したりするなど行政の円滑な引継ぎが行われない場合もある。

ブッシュ政権では当初、ミサイル防衛構想(TMD・NMD)に対し、政治任命された国防総省のラムズフェルド長官と国防総省の官僚の考えに格差があり混乱したとされる。ただ長官主導に軌道修正がはかられている。

 

 

(2)日本

@特徴 閣僚−派閥順送り、官僚−入省年次順、大使−職業外交官独占

A閣僚・行政官への議員任命

衆議院総選挙または内閣総辞職後、国会で内閣総理大臣が指名され、総理大臣が大臣・副大臣・大臣政務官を任命する(副大臣までが天皇認証官)。民間人が大臣に任命されても1〜2名。副大臣以下のポストは与党の国会議員から派閥推薦リストに基づき、任命される。大臣の任命については、派閥順送り以外に、総裁枠・参議院枠が存在し、組閣の際は総理大臣と派閥の領袖との折衝で最終的に決定することが多い。

※小泉内閣では、大臣ポストは派閥順送り人事の対象からはずれたが、副大臣以下は変化せず

 

B大使−外務大臣が閣議に申し出て、閣議で承認

大使は日本国政府を代表して外国政府と交渉等を行う全権を付与されている天皇認証官であり、大使アグレマン(派遣に対する相手国の承認)を得た後、外務大臣の申し出により閣議で承認し発令される[外務公務員法8条]。日本の大使は総数115名で、外務省外からの大使の起用は9名のみであり、その内訳も財務省が2人、経済産業省が2人、総務省が1人、厚生労働省が1名、文部科学省が1名、警察庁が1人、ジェトロ出身1人(エルサルバドル大使)である(2001年4月26日現在)。つまり民間からの登用は1名のみである。資料の現存する1952年以降で見ても外務省外からの登用は38名だけである(うち民間は13名)。

大使は外交交渉を行う全権を与えられている重要な役職であり、昨年まで外務公務員試験が特別に行われていたとはいえ、一度の試験に通っただけのキャリア官僚がほぼすべて大使に就任できるという図式(外務省入省=大使就任)には驚かざるを得ない。大国の大使も事務次官経験者の指定ポストとして確保しており、本当に国益にかなう任命なのか大いに疑問である。ただ閣議承認事項ということで、人事権が内閣にあるということもできるが、大使アグレマンを得た後の変更は不可能ともいえ、実際には外務大臣の権限であると言える。

また橋本内閣のもとでの行政改革会議の最終報告には、外務省の在り方として「大使・公使への外部人材の積極的登用を推進する」との一文も明記されているが、その後の大使任命や国会答弁等を聞いても、その報告を履行する考えは全くないようである。

 

2.         日本の公務員人事権

各省内の人事権は大臣にあるが、事務次官・局長等の高級官僚の任命については閣議の承認を要する。人事は政権交代と関係なく、入省年次順を前提に内部の権力構造で決まる。大臣や与党が官僚人事に介入することは好ましいとされず、戦後唯一の政権交代である細川政権誕生の際、ある大臣が官僚人事に介入したが、その後の政権交代によって、その反動人事が行われるなど、政治介入は行政の中立性を損う禁じ手とされる風潮すらある。

外務省で機密問題に対する田中外務大臣と官僚の人事をめぐる対立があるが、法律的には国家公務員法第55条第2項の「任命権の委任」条項(※1)により大臣の省内での人事権は事務次官に移すことができるようになっている。大臣が一般職員の人事まで決済することが不可能であり、通常、大臣就任時に事務次官・官房長に委任するようである。

 

(別紙14)内閣の承認が必要な幹部職員[閣議決定]

 

※1−国家公務員法

(任命権者)

55条 任命権は、法律に別段の定のある場合を除いては、内閣、各大臣(内閣総理大臣及び各省大臣をいう。以下同じ。)、会計検査院長及び人事院総裁並びに宮内庁長官及び各外局の長に属するものとする。これらの機関の長の有する任命権は、その部内の機関に属する官職に限られ、内閣の有する任命権は、その直属する機関に属する官職に限られる。但し、外局の長に対する任命権は、各大臣に属する。

2 前項に規定する機関の長たる任命権者は、その任命権を、その部内の上級の職員に限り委任することができる。この委任は、その効力が発生する日の前に、書面をもつて、これを人事院に提示しなければならない。

 

3.         政治任命の導入提言−今後の公務員任命制度

(1)幹部行政官

現在の官僚機構を廃止し、局長級以上の幹部行政官に内閣による政治任命のシステムを導入すべきである。また政治任命の導入と同時に内閣の人事権を政治任命行政官に限定し、その他の公務員人事は省庁組織に委任することで、中立的な行政権行使が必要とされる分野への恣意性を排除する。この改革により日本の行政機関に民意を反映させる。

 

真の民主主義国家となるために、主権者の選択をうけない官僚の役割を限定し、大きな権力を伴う行政官には民意を反映させる。試験官僚でも、大きな権限の職務をこなしたい人間は職を辞し、政治任命の道をすすむという姿にすべきである。

 

(2)大使

 外務大臣の申し出により内閣総理大臣が指名するという現在の制度に加え、国会(参議院)の承認人事とすべきである。

 

大使は日本国政府を代表して外国政府と交渉等を行う全権を付与されている天皇認証官であり、その権限は単に内閣の責任というより、国会も連帯責任を負うべきである。また現在でも民間人などを任命する政治任命は可能であるが、実際には外務省人事の一環として事務次官と官房長が相談して決定しているため、ほぼ不可能である。そこでアメリカのように指名後、国会に招致することで、その思想信条・所信・見識等を国民に明らかにし、国民のための大使を任命すべきである。

 

Y.与野党参加型国会(未完)

1.議員立法優先

内閣の議案提出権をなくすことが望ましいが、憲法の改正が必要であり、その実現は極めて厳しい。そこで、議員立法を活性化し野党提出議案の審議を行うことができるように、「つるし」に変わる審議順序調整制度を導入し、一定以上の議員提出議案については、その審議を内閣提出議案に優先させるという制度をつくるべきである。

 

2.国会同意人事

 内閣が任命する行政機関の人事のうち、国会の同意が必要なものは国会同意人事と呼ばれる。現在は委員会や審議会など一部の人事であるが、この国会同意人事の対象を政治任命される行政官のうち、大臣・副大臣・政務官・事務次官及び大使にまで拡大する。

また現在、同意人事案件は直接衆参両院の本会議の採決に付されるだけで、実質的な国会招致などの審査を行わないまま形式的に採決されている。これを国会に招致し質疑を行う方式に改める。併せてこの同意人事をアメリカの上院と同様に参議院の専権にすることで、一切の優先権を持たず衆議院のカーボンコピーの声さえある参議院の再興とすべきである。

 

(別紙15)国会の同意が必要な国家行政機関人事[民主党NC会議資料]

 

まとめ

戦後、1993年の細川政権誕生まで、日本では政権交代は行われなかった。それは右肩上がりの経済成長の中で、国をあげて一丸となって豊かになりたいという希望の実現に邁進しているということでもあった。資本主義経済と相容れないイデオロギー野党に政権担当能力は必要なかったのである。しかし日本の現状はどうか。55年体制は崩壊し、右肩上がりの経済成長の時代も終わり、到るところで制度疲労を起こしている。この国の政治を不信から救い、国民の手に取り戻すために、私が訪米中に確信したのも、この国に政権交代可能な二大政党制を確立し、国民の意思で政権選択可能な制度をつくることであった。それによって、民意の反映される普通の国になるのではないか。アメリカのように二大政党がお互いにチェックし、また協力すべきところは協力するという前向きな国にしたい。国民が自分の一票を行使して政治に関与し、その負託をうけた議員が政治を行うという普通の国にするために民主主義の先進国たるアメリカの現場の声を聞けたことは極めて貴重な機会であった。

アメリカでは、多くの人から議会制度の仕組みや審議のあり方、公務員制度のことなど、様々なことを学ぶことができたが、その中で最も日本に欠けているものは民主主義の意識であると確信した。つまり民主主義の基本を選挙とし、その結果を尊重する考え方である。国民から選挙された大統領が幹部行政官を政治任命し、議会もその行政官を承認することで責任を負う。このシステムは大統領制の下だけでなく議院内閣制の下でも導入できるはずである。この政治主導(=国民主権)システムを日本でも導入することをメインテーマに、日本の現状と比較することによって、改革のポイントを明らかにしたつもりである。問題の原点を民意の反映されない官僚制度に求め、その改革を主眼にした提言をすることで、国民の意識に変化をもたらし、政治参加意識が高まることを望み、なんとかまとめることができた。ただ不十分な内容で提出することをお詫びしなければならない。これから時間をかけて精査し、更に政治活動につなげていくことで、貴重な時間を割いて我々を受け入れて下さったアメリカの方々への御礼としたい。

以上